Message
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世界平和への祈り 弥勒祈りの舞
那須シズノ
日本全国はもとより 世界へと「祈りの舞い」の活動をしています
ハワイ島在住 現在 62歳 舞踊家 那須シズノです。
春と秋
ハワイ島より広島に来て
原爆ドーム 平和への「祈りの舞」 を続け
舞踊 ・芸術を 通じ 世界平和祈願 のメッセージをもって
国際文化交流を行っています。
2001 9・11 アメリカ ニューヨーク
私は その当時
ツインタワー近くに ダンス スタジオ住居をもっていました。
その日の事件の凄まじさに
激しい怒 りとともに 深い悲しみ と 強烈な 虚しさ をうけました。
生きること すら 空しくうけとめて 生きる力も失ってしまいました。
1988年
舞踊家としてのターニングポイントをむかえ
踊りの原点を見出そうと日本縦断舞踊行脚し 神社仏閣にて舞いの奉納始め
1991年
フランス国際ユネスコホールより
平和へのメッセージの「祈りの舞い」をつずけてきた私でしたが
9.11の ツインタワー の悲惨な 現実は
巨大なタワーの崩壊とともに 私の全てが消えさるような
踊る事も できなくなり 祈る事もできなくなりました。
この私が踊ったところで.........この私が祈ったところで.........
私は無力である.........私の踊りや祈りは、何にもならない...と
精神病の患者のように ただ ただ 泣きながら さ迷うばかりでした。
あまりにもの私の姿に 主人 が心配し
2002年度 に
ハワイ島への移住が 私の人生の
二度目の大きなターニングポイントとなりました。
ハワイ島 ポリネシア語で 神の住まわる処とよう意味
世界でもパワースポットのひとつといわれています。
その中でも
もっとも パワフルな火の女神ペレの地
ボルケーノに 住むようになりました。
私は、毎日のように
火の女神ペレ にむかい 地球のコアより 吹き上がる マグマを見つめました。
マグロの吐息を見つめていると、
地球は まさしく生きていると 心から うけとめ 感じとり
(マザーアース 母なる地球) といわれる意味が 分かるような気がします。
地球生命そのものがこの私に語りかけてくるかのように感じました。
そして、私は
地球と人間の調和とバランスを考えるようになりました。
ある日
富士山より高い霊山の
4300メートルの壮大な山上に立ち
宇宙 の拡がりと 無数の満点の星に抱かれながら
無限の無限 を見つめていると
この 今 瞬間 に ある この 奇跡 の 奇跡 を 深くうけとめました。
地球生命の 奇跡と この私の生命の 「奇跡の奇跡」に 涙を流し
私は 歓喜して 私は 祈り舞い 踊りました。
感謝と歓喜 地球生命 祈り舞う
何が起ころうとも……… 何があっても………… 私は 祈り舞い踊る
この思いは 止めない……………と この思い こそが 大切と。
小さな力の私ではありますが、
私は、踊りの美しさを 知っており 踊りのもつパワーを信じています。
一人の人間の生涯を掛けて
信じて貫くその思いこそが パワフルに「力」に成ると。
全身全霊をこめて 舞う この思いこそが
次なる地球の命と平和に繋がる
「平和を 祈り 舞う 」
舞踊家として の 私が 生る カタチ 第二の人生を 歩みはじめた瞬間でした。
私の舞いは その時より 揺るが無いものに なりました。
2010 8.8 ハワイ島に那須シズノダンススタジオ設立
2011 3. 11 ハワイ島より成田空港 到着のその二時間後
東京都にむかう高速道路上にて東日本大震災
私は直ぐに 原子力発電止める
反原発運動に参加
反対においての権力の闘いのエネルギーでは
決して平和への道は開かないと痛感し
私の出来る最大の事を成す 道 を 問い返しました。
祈り舞い踊る
優しい波動 心開く波動 感謝の波動 愛の波動
ともに祈り舞い踊る
3.11 を期 に 私は日本においての 「祈りの舞い」 の伝授を行う 決心を致しました。
そして、世界平和祈願 広島の地 より 発振 したいと 深く思いました。
弥勒 祈りの舞 広島の人々とともに
弥勒は 今 ここに あり
あなたが 今 平和で在るという事
あなたが 今 美しい存在で在るという事
あなたが 今 ここ 幸せで在るという事
広島は全世界に 平和への祈り を とどける事が 出来るところです。
ともに 心開き
ともに内側の平和を見つめ
感謝をもって 愛をもって
ともに美しい舞いを ともに 捧げ
広島より 世界平和への祈りを捧げたいと思います。
舞踊家 那須シズノ